そこに愛はあるのんか。

2025年も半分が行こうとしています。

無事に過ごせて感謝ながら、何かと心配事も多い昨今ですね。


やっぱり「ご飯」のことです、、、。

みんなもっと憤った方がいいと思う。ゆゆしき問題ですよ。

色々難しいとか致し方ないとか、そういう問題ではないのです。基本的な心構えの問題だと思うのです。


たとえて言うなら

親が子供に愛情を注ぐ時、その気持ちの根底にあるのは

「この子にひもじい思いをさせてはならない」という強い思いでしょう。これが「我が子の幸せを願う」基本中の基本だと思う。


不幸にして、親子関係が「支配ー被支配」の関係になることがあります。

この時にどうなるか。

「いうこと聞かないとご飯食べさせませんよ」となる。

これくらい「愛」か「支配」かはっきり判別できる尺度ってないと思うんです。


嫌な話ですが、子供の間でも「支配ー被支配」の関係が生じることがあります。いじめってやつです。

この時もいじめっ子は「床に落ちたパン、食べろ」とか言うわけです。

子供も大人も、本能でわかっているんです。食べることは「人間の尊厳」に直結するということを。


お米の問題だけでなく、コオロギ食べろとか、さらに振り返ると日本が食品添加物大国であること、どれも看過できない問題だと改めて感じています。

私たちは「愛」ではなく「支配」の対象、と見られているんじゃないでしょうか。

もっと厳しい目で見た方がいいんじゃないでしょうか。

くらちかべしんぶん

ボイスアーティスト倉地恵子から皆様へ。